老人クラブ総会

 山内の中でも、黒川地区は4月の大宮神社のお祭りの際に、太鼓踊りをします。太鼓を使っての踊りのため、雨乞い祈願の踊りとして伝わっています。去年度は、山内に伝わる水文化として、絵本の1ページにもしました。
 黒川の太鼓祭りは、神社での奉納踊りだけでなく、4つの集落の「出逢い」と「わかれ」の儀式が見ものです。このころから、人は結い(ゆい:つながり)を大切にしていたのでしょう。室町時代末期から江戸時代初期に始まったこの「風流踊り」は、五穀豊穣の雨乞いだけでなく、昔の疫病であるコロリ(はやり病のコレラ)に罹らなかった男のお礼踊りとも言われている。
 先人は、どのような祈りをこめて踊ったのでしょうか???。

日時:4月18日(日)
  天気  晴れ
場所:黒川周辺から大宮神社
参加者:かれんちゃん、ゆずちゃん、ななみちゃん、のりかちゃん、
   まみちゃん、ひでちゃん、かんた君、りょう君















         もっと詳しく知りたい方は





ナビゲートしていただいた上の平区の馬場さん、
黒川の太鼓祭りは、川西区の太鼓の胴に「約200年前の安永2年に始まった」との記載があったらしい。。農民が「雨をふらして下さい」と言った雨乞い踊の意味と昔はコロリというはやり病があり、厄年(42歳)までも生きられなかった時代に『厄年までは生きさせてください』という祈りもあったらしい。
朝9時、4つの各集落「大黒踊り」を踊った後、
上組(上の平と中の組)、下組(市場と川西)で落ちあい
(出逢い)をします。

役付け同士が、あいさつを交わしています。
2つの集落の総代さんがあいさつをします。
棒振り(ボウ)同士の出逢いです。

茶色の面(雄・おん)が上の平
赤の面(雌・めん)中の組で一対になるとのこと。
太鼓打ちの出逢い。
そのあと、二集落(上の平と中の組)で出発。
鬼面の由来は、無病息災、
花笠は、春の祭りと言うことで華やかにしたんだろう・・・
大黒の踊りの唄には、財政祈願(銭蔵・米蔵・宝蔵)
「長者殿へと呼ばれそろ」とある。
神楽踊りは、伊勢神宮までの参宮の唄。
 
 
青木ケ瀬橋まで歩きます。
太鼓の扮装:「ぼんち柄」と呼ばれる、紺地に江が描かれた袖の広い着物、下は紺地に黄色と白で格子に織った生地の袴。三色の幅の広いたすきを背中で特殊な結び方で絞めて、腰には五色のひもを垂らす。
下組同士の太鼓の出逢い。
花笠は、椿を中心にして、サクラの枝5本と杉葉に見たたている。
青木ケ瀬橋での下組と上組の出逢い、
役員警護、区長、総代の挨拶の後
棒振り同士の挨拶。ボウを回しながら進むので、
周囲は当たらないように気をつけます。
(ここをマウスでダブルクリックして、文章を入力してください。)
時によっては、棒振り同士で絡み合う(けんか)になることも・・・。
警護さんが止めに入ります。
《野球で言うならコーチみたいな人かしら》
大宮神社に到着後、本殿では神事が行われます。
そのころ、下組により、「神楽踊り」が始まります。


従来は、下組の踊り「馬場入り」「神楽踊り」
   上組の踊り「日野祭り」「神楽踊り」が毎年交代でされていたが、若い踊り子不足により、現在は、上組は省略されています。
この中腰で、二人のバチが合うと気持ちいいです。
浦安の舞の舞姫による本殿での奉納、生の雅楽の音色が幽玄です。
最後に、両組合同(上組・下組)の大黒踊りで、賑やかに終わります。(太鼓4人、ボウ4人)
この後、帰る際に神社から大日道に通じる道の前で「別れの出会い」をし、上下の組がわかれ、上組では、中の組の集落で上の平区と最後の「別れの出会い」をします。
巫女さんによる神湯(みゆ)の儀式
先人の祈りを学習した後は、
「これからもやまえこの、みんなににいいことがありますように」とのおこぼれを期待し、見学は終わりました。お疲れ様でした。