行事の流れ


 黒川は地区は、4つの集落に分かれており、上流から上の平(かみのひら)と中の組(なかのくみ)を合わせて「上組」、市場と川西を合わせて「下組」と呼ぶ。踊りは、四集落がそれぞれ分担するが、大宮神社の奉納の際には、上組と下組に分かれて演じられる物と合同で演じられるものがある。祭りの踊り子は、地区の若手がつとめ、(以前は氏子青年会という40歳以下の男性の集まりがあった) 
 各集落「太鼓打ち」1人、「棒ふり1人、「貝ふき」1人、「歌だし」2人「踊り警護」2人、「役員警護」2人の計9人の構成で他に「ガワ」という歌役の者が数人参加する。                              
参考文献:土山町歴史民俗資料館
平成8年度 春季企画展 土山の太鼓踊り 展示解説シート




上の平区を出発点としてみたら・・・・

《9時》
 準備を整えた太鼓踊りの本役の者の他に、太鼓役、ほら貝、棒振りの各役一人を加えて、公民館(集会所)の前で踊りが一番演じられる。出発の踊りである。現在は、「大黒踊り」を踊る。踊り衆の出発にあたっては、「立ち酒」を称する酒が振舞われるが、これも踊り宿を出発した昔の儀式の継承である。
《9時45分》
公民館前で一踊りした後、神社に向けて出発した一行は、田村川左岸をしばらく下り、平子橋のたもとで、右岸の集落である中の組から来る踊りの一行を待つ。
 平子橋で落ち合った両組(中の組と上の平)は、まず両組の警護役が互いにあいさつを交わし、次に羽織袴の総代、区長、が挨拶する。次に棒振りが互いに踊りつつ近づき、次に太鼓役を先頭にほら貝、ガワ(笠をかぶった衆)が後ろに従って近づき、挨拶を交わす。
 この〔出逢い〕によって、上組の踊り組がそろうが、下組の踊り組である市場区と川西区でも、ほぼ同じ時間に上組と同様の行事が行われている。

《10時》
青木ケ瀬橋で上組と下組の〔出逢い〕を行う時間である。〔出逢い〕の儀式は基本的に同じである。踊り組同士は互いに牽制し合っており、警護はそれを押しとどめるのが仕事である。
 青木ケ瀬橋では、まず青竹を持つ役人警護〔出逢い〕の挨拶。次に総代、総代が挨拶。次に青竹と棒振りの軍配を手にした踊り警護が挨拶。次に棒振り同士の挨拶となるが、この棒振り同士が最も荒れ模様の挨拶で、手にした棒で互いにぶつかり合うようなこともあり、警護が割って入る。次が太鼓の挨拶でこの後にほら貝、ガワの衆が従う。青木ケ瀬橋からの行列には、小学生1〜2年生の稚児がかわいらしい稚児姿で先頭に歩く。〔以前は、女子であったが、現在では男子の稚児もいる〕
 神社に到着した踊り組の一行は、まず神社正面から、中の組と上の平で構成された上組が境内に入り、上組の踊りが始まる。最初が、「日野祭り」その後に「神楽踊り」が踊られる。上組の踊りが済むと、下組の番で、「馬場入り」と「神楽踊り」が踊られる。上組と下組の順番は、毎年交互に行われていた。「日野祭り」と「馬場入り」は呼び名が違うだけらしい。しかしながら、ここ4,5年は上組の人手不足のために、上組の踊りは省略されている。〔残念!〕「来年こそは・・・」との気運も高まってきているようであるが。
 最後に、上組と下組が合同で「大黒踊り」を踊り、神社での午前の行事は終了する。〔現在はここまで〕
昔は、昼食を済ませてから、午後の太鼓踊りのクライマックスの「大順役」と「小順役」を上組と下組で1年交代で踊っていたという。

引用・参考文献:昭和62年 土山町教育委員会  土山の太鼓踊り  


黒川に継承されている唄の数は28と多い。「大順役」踊りが、雨乞い踊りである(50年前までの祭りで踊っていた。すごく難しい踊りらしい)が、最近は
、「神楽踊り」と「大黒踊り」しか踊っていない。
 28の踊りの中に「竜王踊り」「古竜王踊り」があるが、黒川の踊りの特有のものだそう。































































笠張り
4月に入ると早々に、太鼓踊りに使う花笠の製作が、各集落ごとに行われる。

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